山口県観光情報

YAMAGUCHI PREFECTURE TOURIST INFORMATION

【山口県観光】中原中也と種田山頭火ゆかりの湯の町へ。秋吉台・秋芳洞から足をのばして行こう

山口県屈指の温泉街、山口市の湯田温泉は、夭折の詩人・中原中也の故郷であり、漂泊の俳人・種田山頭火が愛し一時期定住した湯の町です。2人の言葉は今も多くの人の心を動かし、人気アーティストにも影響を与えています。湯田温泉とその近辺のゆかりのスポットをめぐり、彼らの世界を深く感じてみませんか。文学の秋におすすめのプランです。
湯田温泉は、JR山陽新幹線の停車駅、新山口駅から近く、秋吉台・秋芳洞からは車で40分ほどの距離。少し足をのばせば行くことができます。

気になる場所を選んで、自由に旅行したい方には、観光タクシーがぴったり。地元ドライバーに任せて、初めての土地も効率よく回れます。観光タクシーについては最後に紹介していますのでぜひお読みください。

詩人・中原中也の故郷、湯田温泉を訪ねて

「汚れちまった悲しみに……」などの詩で知られる中原中也。30年の短い生涯で350篇以上の詩を残しました。その独創的な表現は色褪せず、今も多くの人を魅了しています。
生まれ故郷の湯田温泉でゆかりのスポットや詩碑を訪ねて、中也の感性の原点に触れてみましょう。

近代詩を代表する詩人、中原中也とは

1907年(明治40年)、医者の息子として、現在の山口市湯田温泉に生まれます。少年期は優等生。小学校高学年から短歌を新聞・雑誌に投稿するなど、文学にのめりこみます。京都の立命館中学に転校すると、既成概念の破壊ともいえるダダイズムの詩に影響を受け、詩人を志します。
18歳で上京し、小林秀雄や大岡昇平などと知り合います。第一詩集『山羊の歌』の出版、雑誌への詩の発表、訳詩集『ランボオ詩集』の刊行などにより、詩壇で認められていきます。
1937年(昭和12年)、第二詩集『在りし日の歌』を編集し小林秀雄に託します。その後、体調が悪化し、30歳で生涯を終えます。

まず訪ねたい、中原中也記念館

中原中也記念館は生家跡に1994年に開館。中也自筆の草稿や日記、愛用の外套や机などの遺品、詩集『山羊の歌』の初版本などが展示されています。また中也の世界を追求する企画展示・テーマ展示も行われ、音楽・映像視聴コーナーや資料検索室などもあり、中原中也を深く知ることができます。   

中也の詩にちなんだ足湯もある観光施設、狐の足あと

湯田温泉の観光情報が収集できる施設、狐の足あとは、中原中也記念館の向いにあります。中也の詩がテーマの音楽が流れる足湯や、四季の自然を満喫できる屋外の足湯など、3タイプの足湯(有料)から選んで疲れを癒せます。カフェやギャラリーも併設。

中也の詩碑も建つ、井上公園

中原中也記念館から「中也通り」を少し歩くと、長州藩士、井上馨の生家跡にある井上公園があります。中原中也の詩碑があり「帰郷」の一節が刻まれています。また、幕末の建物を再現した何遠亭(かえんてい)や種田山頭火の句碑があり、無料で利用できる足湯も設けられています。

学校をさぼって市街を一望した、権現山(熊野神社)

温泉街の北東に位置する標高40mほどの権現山。中原中也はよく学校をさぼって登り、市街を眺めていたとか。結婚後は帰省時に息子を肩車して登ったとも言われています。権現山と呼ばれるのは、山頂に熊野権現をまつる熊野神社があることから。

維新の志士も癒された湯田温泉の魅力

開湯800年の歴史ある湯田温泉は、幕末の志士も滞在したという温泉街です。JR新山口駅から近く、西の京と呼ばれる山口市のすぐそば。秋吉台や萩市などの観光地からもアクセス良好で、観光拠点に好適です。6カ所の無料の足湯や日帰り温泉もあり、気軽に疲れを癒すこともできます。
1日2,000トンも湧き出る豊富な湯量を誇り、アルカリ性単純温泉で肌になじむ、やわらかい湯です。白狐がみつけた温泉という伝説から、街のあちこちに白狐のオブジェが見られます。

   

時間があれば、泉源を見学できる湯泉舎(ゆのや)にもぜひ。地下500mから汲み上げる源泉をのぞき穴から見たり、温泉の流れる「湯の川」を手で触れたりして、湯田温泉の源泉を楽しめます。 

種田山頭火が愛した湯田温泉と、ゆかりのスポット

「うしろすがたのしぐれてゆくか」「分け入つても分け入つても青い山」など自由律俳句の俳人、種田山頭火。放浪の旅を追い求めた生涯や、心揺さぶられる句で、今も根強い人気を誇っています。
“漂泊の俳人”と呼ばれますが、50歳を過ぎて山口市小郡に定住し、湯田温泉に移り住んだことも。ゆかりの地を訪ねて、山頭火の世界をのぞいてみましょう。

漂泊の俳人、種田山頭火とは

1882年(明治15年)、現在の防府市に大地主の跡取りとして生まれますが、父の放蕩による母の自死が心に暗い影を落とします。成績優秀で文芸に興味をもち、句作を始め、早稲田大学に進学。しかし病を患い中退。父親の酒造場を手伝います。
30代は文学面で活躍。1913年(大正2年)、俳句雑誌『層雲』に投稿すると頭角を現し、選者になります。一方、私生活では家業が破綻し、妻子と熊本に移住するも離婚。禅門に入り出家し、40代半ば、行乞放浪の旅に出ます。
50歳の頃、現在の山口市小郡で庵を結び、其中庵(ごちゅうあん)と名付けます。7年ほど住み、湯田温泉に移住。1939年(昭和14年)には再び旅に出て、翌年57歳でこの世を去ります。

温泉好きの山頭火、湯田温泉にも移住

山頭火は温泉を好み、旅をしながら各地の温泉に入っています。山口市小郡に定住すると、少し遠いものの湯田温泉にも度々訪れました。湯田温泉に移住したときは、毎日温泉に浸かれることを喜んだそうです。中原中也の生家が近く、中也の弟たちと交流し、中原家に出入りしていました。
湯田温泉には、中原中也記念館の東側に「山頭火通り」があり、井上公園などに句碑が建てられています。

山頭火ゆかりのスポットを紹介

山頭火が7年ほど住んだ山口市小郡には、新山口駅前などに21基の句碑があります。山口市小郡文化資料館サイト内「句碑めぐり」で紹介されています。 

其中庵での生活がわかる、山口市小郡文化資料館

山口市小郡の歴史・民俗・考古に関する施設。常設展「山頭火と其中庵」では、山頭火が過ごした其中庵での生活の様子や、遺筆や遺品などを展示しています。 

当時の庵をリアルに再現した、其中庵(ごちゅうあん)

1932~1938年に過ごした其中庵を、1992年に復元。親交のあった方の証言をもとに、外観や部屋をリアルに再現しています。建物内部も見学可能です。周辺は俳句に詠まれた植物が植えられており、四季折々に楽しめます。山口市小郡文化資料館から車で3分、徒歩で15分ほど。

故郷の防府市にある、山頭火ふるさと館

山口市から少し離れますが、山頭火をもっと知りたい方には、防府市の山頭火ふるさと館もおすすめです。山頭火の生涯を紹介し、投稿した雑誌、晩年の句集のほか、日記や鉄鉢のレプリカなど、貴重な資料が展示されています。

自由なプランで快適に回りたい方には、観光タクシーがおすすめ!

湯田温泉とその近辺にある、中原中也と種田山頭火のゆかりのスポットを紹介しましたが、気になる場所があればぜひ観光プランに加えてみてください。

お決まりのツアーではなく、自由に観光したい方には観光タクシーがおすすめ。地元ドライバーに任せられるので、知らない土地も不安なく効率よく移動できます。
山口第一交通グループの観光タクシーは、地元の乗務員がお供します。ご希望のルートをめぐりながら、「もう少しこの場所に居たい」、「風景が気に入ったので降車したい」など様々な要望に柔軟に対応します。車に荷物を置いて手ぶらで快適、自由な観光をお楽しみいただけます。

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